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8月30日朝、トトロの森で市長と監督がばったり

Photo : 川でゴミ拾いをする宮崎駿さんと、ド派手なスカートでやってきたマエキタさん。東村山市、淵の森にて

宮崎駿という人は、僕のリスペクト・パーソンの中で文句なしの一位です。表現方法は違えど、近代日本の表現者でこの人をおいて他にはいないです。そんな彼に会いに行くからおいでと、マエキタさんに誘われて飛んでったのでした。西武池袋線秋津駅午前九時。宮崎駿さんが川掃除をするところに、今年当選した市民派の名古屋市長の河村たかしさんが、里山開発保全問題で大揉めに揉めている話の相談にやってくるところを、みんなで報道しよう!っていう会らしい。

interviewer : tamachang

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- 今日の会談のそもそもの発端はどういうことだったんだろう?

名古屋の平針という里山が開発保全問題に揺れてるんですね。今年の四月から河村さんていう人が新しく市長になった。それまで建築行政の地域だったんだけど市民派の市長になったのね。そのことはgreenzがとても丁寧にまとめてくれているからそっちを読んだ方がいいよ。

平針は5ヘクタールの田んぼを含む緑地、池が四つ。とんぼがいっぱい。めだかもいっぱい。そこを壊して住宅にするって言ってるんだけども、半分学校に売ろうとしていて、名進研っていう予備校が相手なんだけれど。既に工事許可も出ていて、あとは河村市長がハンコを押せば着工なんだけど、市長が押さない。笑。普通は二週間で押さなきゃいけないんだけど、押さない。笑。で、どうしたもんかと河村市長が困って、自費で東京に、宮崎駿さんに相談に来たわけ。基本、もう今は開発する時期じゃないでしょう、ってのが宮崎駿さんの見解。河村さんって人はほんとにいいタイミングで市長になった。さらにCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)があるから追い風になってる。生物多様性を保護しようと主張しているのに、なんで里山を破壊するのかと。



元々平針の問題の場所で農業やってたおじいちゃんの遺族が、5ヘクタールの土地をデベロッパーに売っちゃった。その会社も中小企業なもんで、その費用を回収しないとデベロッパーは潰れちゃう。で、名古屋市としてもお金が出せないから、まずは銀行に相談したら?と宮崎駿さんにアドバイスされた。「私たちもそうやってきましたから」って言われて。河村市長は、そのデベロッパーを潰してまでは里山保全運動をやれないって言ってるんだけれど。駿さんに「ハンコおさないで、その上に書類が溜まっていけば、それで終わるじゃないか。笑」って。

宮崎駿さんは「政治的な発言はしませんよ」とか言っておきながら、里山取り壊しのハンコ押さんでいいよ、とか言ってる。笑。今日来ている淵の森は、宮崎駿でさえも近所のおじさんの一員として参加しているってことが凄いよね。それぞれバラバラでやるってことが大事、って宮崎駿は言ってる。それはすごい頭いいなー、って。宮崎駿さんが「みんなで一緒に運動するなんて、なんかヘンじゃないですか、きもちわるい」って。それぞれにその地で守る、っていうふうに展開したい。組織になると組織が動いて組織のためになっちゃうから。



そもそも宮崎駿さんが平針の里っていう反対運動やっている人たちに直筆の応援メッセージを書いて送ったってことが、そもそもの始まりなんだけれど、淵の森をどうやって守ったのか教えてほしい、って宮崎さんに問い合わせたことから始まった。淵の森の保全には宮崎駿が最初自分で三億円を出した、ってのがおっきいんだけど、安田さんていう人がもともと淵の森の保全をやっていて、その人が会長になった。ここは12年前には森の入り口が駐車場だったところをひっぺがして、公有地化して東村山市を巻き込んで、市長がミーハーで宮崎駿さんに会いたい、みたいなところもあって動いた。一方平針の場合は、25億必要だって言われてるんだけど。

今日は河村さんが、宮崎駿さんにあえますかねぇ。って言って、たまたま二人のスケジュールがあいてた。8時半から10時40分まで。ほんとにたまたま実現して、よかったね。



- 宮崎駿さん、だいぶシニカルな人だったね

(環境運動を)「うちじゃしないしない」って言ってるけれど、鞆の浦にしてもなんにしても保全運動に入っていくよね。本人が出て行くことで美談にされることを嫌がってるんじゃないかな。

期待通りのチャーミングな人でした。笑。仕事させたら怖いだろうね。映画つくってたら半数以上スタッフやめちゃうんだよ。いわゆる町にいる頑固じじい。町にいっぱいいると思うよ。あまのじゃくで、子供がえ〜ん。て泣いちゃうような。だけどときどき「ニカッ」て笑ってるとこがチャーミング。面白かったのは、私はナウシカで育ったから言いたかったんだけど、この性格だから嫌がるだろうなと思って言ったんだけど、言ってみた。「ナウシカで人生変わった女の子はいっぱいいると思いますよ」って言ったら「うちの奥さんは変わんなかったみたいだけどね」って。やっぱりシニカルだった。
宮崎駿はそうとうせっかちな性格だと思うんだけど、「あせらないことにしたの。できることをこつこつと」って最後に言ってたのは印象的だった。

最後に、宮崎さんが「なんで今日はこんなことになったの?」(人がたくさんきてて)って言ってた。してやったり!って感じ。

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淵の森保全連絡協議会
http://www.fuchinomori.com/

宮崎駿と河村たかし(名古屋市長)がトトロの森で会談
http://greenz.jp/2009/08/28/hirabari_totoro/

名古屋在住ジャーナリスト関口威人さんによる河村たかし×宮崎駿対談レポート
http://sekiguchitaketo.blog94.fc2.com/
| 最近の私 | 01:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
最近、私が勉強していること

Photo : 小山薫堂×マエキタミヤコ×大森功一×宮島達男シンポジウム。国立新美術館にて

毎日毎日持ち込まれる相談と、講演と、大学での講師に忙しいマエキタさんが、日々なにを見ていて、なにを考えているのか?サステナのスタッフですらまともに見えていないであろうそんなマエキタさんの日常を、定期的に追跡してインタビューし、この「マエキタミヤコのsustena日記」に掲載するということをしてみよう!とふと思い立ったのでした。次回はいつになるかわかりませんが、定期的に続けていけたらと思います。

interviewer : tamachang

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- マエキタさん最近なにやってるの?

大地を守る会が「コメニスト宣言」ってのをする。もっと日本のお米を食べようってことなんだけど、辻さん(辻信一さん)が言い出したっていうんだけど、コミュニスト(共産主義者)じゃなく「コメニスト」になるのが大事なんじゃないかってとこが面白いよね 笑。全国が連帯する必要なんじゃないかと。米本位制。仕事の対価がお金じゃなくて、お米で支払われると。全部じゃなくて、一部でもね。そういう地域通貨的なところもある。

- お米ってたくさん食べてるような気がするけれど

実はいまってお米の消費が少ないのだ。たくさん食べてる気がするでしょ。うどんとパンとお米で外国産のものが増えているということ。米の消費は40年前の40%に激減している。そのぶん油と穀物の飼料が増えた。

- そういえば最近、庄内に通っているらしいね

そうそう。最近、私が勉強していることは主に

庄内と薩摩。武士道。第二開国。ダイアローグカフェ。入り会い権。について。

旧庄内藩の一八代当主酒井忠久さんという人がいます。150年前に廃藩置県になってるんだけど、島津さんとか、毛利さんとかと、年に一度藩校サミットってのがあるって話を聞いて。江戸時代に庄内藩には「致道館」(ちどうかん)ていう藩校というあったの。荻生徂徠の「徂徠学」(そらいがく)ってのがあって、クラスが上に上がってくると教師は教えすぎないってのがあってね、小集団討議って学問であると。だからダイアローグ会議ってのをやろうと。ピッタリだねって。

- それがマエキタさんのいままでの活動にどう結びついてくるんだろう?

来年COP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が名古屋であるでしょう。日本てものすごく生物多様性が豊かなのよ。それに今頃みんな(外国の人たち)がびっくりしているわけ。新渡戸稲造の「武士道」って、女の人の項目もあるんだけど、ほとんど書いてない。「武家の娘」っていう本があるらしくて、それは武士道の女版みたい。海外に行った武家の娘が英語で書いたの。

武士道の女性版てのが必要。明治維新て中途半端なのよ、ちゃんと着地していない。だから完結させなくてはならなくて。男はやる気がないからできないから、女の人たちでそれを完結させて次へ行かないと。生物多様性と平和構築をやっていて気が付いた。あるべき日本の姿を討議する自由討議の場を庄内につくれないかと思っている。情報発信するのかしないのかっていうところはおいておいて、まずは知識を共有しようってところなんだけど。

- 庄内と、薩摩って単語が出てきたと思うけど、明治維新のときに繋がりがあったんだ

西郷隆盛と庄内の関係が大事なの。庄内の人には「西郷隆盛は征韓論なんて言うわけないんですよ」って言われた。西郷隆盛が死んで、大久保利通が死んだ時点で明治維新は止まっているのよ。止まっているというか。

西郷隆盛は一回自殺未遂をしている。お坊さんと入水自殺しようとして、自分だけ生き残っちゃった。すごい平和主義者で、筋を通す人だった。で、庄内ってのはすごい強かったんだって。明治維新のときに最新の兵器を持っていた。お殿様はわりと質素にしていて、農家を大事にしていたから、農村の文化ってのがすごい豊かで「ばんどり」っていって、農家の若い男の人が、女の人に思いを込めて、綺麗に染めたものを編んで、その上から背負子をつかうんだけど、みんながその美しさを競うんだって。だから庄内ってすごい豊かなんだなと思った。農家がアート作品をつくっているようなものだ。求愛のアート作品。

その強さの原因はフラットな思想にあって、農民隊ってのが強かった。庄内藩は侍だけじゃなくて、藩内一致、農政一致っていって、農民の地位が豊かだった。それに武士と仲が良かった。藩校ってのは普通、武士の子じゃないと通えないんだけど、庄内藩の場合は、優秀な農民の子をみつけると武士の養子にして、通わせたりした。

- えっと、それで庄内と薩摩の関係性に話を戻すと

私ちょっと分裂症みたいな人だね。笑。それで、明治維新を成立させた人たちはみんな死んじゃった。「全部死んじゃって、ちんぴらばっかりが残っちゃったからですよ。ずる賢い人たちだけが生き残った」って言う人がいて、自分としてはそう思ってなかったから、みんなよく知ってるなぁと思って。維新の時は武士のようだったけど、そのあとはあんまり武士っぽくなかったのかもしれないね。という推測ですが。

- マエキタさんがそっちに目が行き始めたのは、東北芸術工科大学がきっかけなんだろうか?

そうそう。東北芸術工科大学の客員教授になったから。アル・ケッチァーノってレストランに通い始めて、山形からでも車で一時間半くらいかかるんだけど。そこで庄内の人たちに知り合ったの。とにかく庄内でダイアローグ会議をやりたいのよ。


次回につづく。
2009.07.09 千歳船橋〜渋谷〜池袋、立教大学の行程にて
| 最近の私 | 04:56 | comments(7) | trackbacks(0) |